月形炭鉱 めざせ炭坑跡編 [月形]
070708掲載
旧タイトル「月形炭坑 めざせ炭坑跡編」
月形炭坑は月形の須部都川上流にあった炭坑で、近くに200人ほどが住む
集落と学校があったそうです
空知支庁のサイトにものっています
数年前に一度訪れているのですが、そのときは川を渡れずに近づけなかったので
長靴担いでの再訪となりました〜
なぜ、めざせ炭坑跡編かというと、この道を通って月形炭坑跡に行った人は
あまりいないだろうと、ということで、、、(^^;
どうしてって?
車両通行止めだから、、、(^^;
炭坑跡の掲載を続けているので、たまには、景色でも
注)
当ブログを見て事件・事故に遭遇されたとしても一切責任を負いません。
また、探索を勧めるものでもありません。
時折見える石狩川周辺の景色をながめつつ、、、
なんか崩れておりますが、、、
このあたりのみちはは、まだいいのですが、、、
分岐を脇道に入る、通行止め、、、
前回、秋に行ったとき
すすきがぁ〜
こんな道を進むわけで
撮影場所は違うが、前回は、こんなかんじ
しばらく進むと案内板
遊歩道なんてあるのか?
案内板をすぎると、沢を回り込んでいく
山がみえるのだ
ピンネシリ、待根山、隈根尻、三角山
所々雪が残っている
山々、沢の向こうの斜面に道らしきものがあるけど
あそこを通るのだ(^^; そして、山の向こう側に出るのだ
左は急斜面〜
遠くに暑寒別?の山並み、、、そして道
沢を回り込んで、先ほど見えていた所に出る
通ってきた道が見える
山並み1
山並み2
雪崩の跡でしょうか?
あの崩れた斜面の下が須部都川
のわ〜
川が見えてきた、砂防ダムもある
ふい〜、合流する道が見えてきた
合流までもうちょい
おわ〜〜〜、道が崩れているぅ〜〜
合流手前50mほどで、こんなオチがぁ〜
川沿いの林道にでました〜
通行止めの入口から合流までおよそ90分でした
で、帰りもまた通るんだな、これが(^^;
道路脇になにやら基礎が
護岸も崩れている
いきなり、コンクリの柱がたっていた
道路の左手に建物のあと
そして、右手が炭坑跡
つきましたぁ
旧タイトル「月形炭坑 めざせ炭坑跡編」
月形炭坑は月形の須部都川上流にあった炭坑で、近くに200人ほどが住む
集落と学校があったそうです
空知支庁のサイトにものっています
数年前に一度訪れているのですが、そのときは川を渡れずに近づけなかったので
長靴担いでの再訪となりました〜
なぜ、めざせ炭坑跡編かというと、この道を通って月形炭坑跡に行った人は
あまりいないだろうと、ということで、、、(^^;
どうしてって?
車両通行止めだから、、、(^^;
炭坑跡の掲載を続けているので、たまには、景色でも
注)
当ブログを見て事件・事故に遭遇されたとしても一切責任を負いません。
また、探索を勧めるものでもありません。
時折見える石狩川周辺の景色をながめつつ、、、
なんか崩れておりますが、、、
このあたりのみちはは、まだいいのですが、、、
分岐を脇道に入る、通行止め、、、
前回、秋に行ったとき
すすきがぁ〜
こんな道を進むわけで
撮影場所は違うが、前回は、こんなかんじ
しばらく進むと案内板
遊歩道なんてあるのか?
案内板をすぎると、沢を回り込んでいく
山がみえるのだ
ピンネシリ、待根山、隈根尻、三角山
所々雪が残っている
山々、沢の向こうの斜面に道らしきものがあるけど
あそこを通るのだ(^^; そして、山の向こう側に出るのだ
左は急斜面〜
遠くに暑寒別?の山並み、、、そして道
沢を回り込んで、先ほど見えていた所に出る
通ってきた道が見える
山並み1
山並み2
雪崩の跡でしょうか?
あの崩れた斜面の下が須部都川
のわ〜
川が見えてきた、砂防ダムもある
ふい〜、合流する道が見えてきた
合流までもうちょい
おわ〜〜〜、道が崩れているぅ〜〜
合流手前50mほどで、こんなオチがぁ〜
川沿いの林道にでました〜
通行止めの入口から合流までおよそ90分でした
で、帰りもまた通るんだな、これが(^^;
道路脇になにやら基礎が
護岸も崩れている
いきなり、コンクリの柱がたっていた
道路の左手に建物のあと
そして、右手が炭坑跡
つきましたぁ
始めまして、私、旧姓吉川貴美枝と申します。掲載の写真大変感動いたしました。あまりの懐かしさにメールを差し上げたく突然ですが一筆書かせていただきます。現在USAジョージア州のアトランタ郊外に住んでおりますが、渡米して35年もの月日が経ち、英語のみの生活の中で、インターネットで、懐かしい故国の様子を知るのは、掛け替えの無い楽しみです。今夜も夕食後コンピューターに向かって居りましたら、貴方様の記事に偶然たどり着きました。
私、昭和25年生まれで、子供時代を樺戸郡月形町で、過ごしました。当時父は月形炭鉱に勤めており、母と姉と私は月形町内に住んでおりました。炭鉱へは夏の時期、分校の運動会等、何回か訪問し、父に連れられ、ほんの少しですが、坑内にも入った記憶があります。記事にも出てきた須別都川も、当時、子供たちには格好の遊び場所、ただし炭鉱がお休みのときだけ、普段は洗炭の為真っ黒な水が流れていました。
小学校の終わりにこの町を離れたのですが、この記事のおかげで、忘れかけていた沢山の大切な思い出を思い起こす事が出来ました。
懐かしいものを見せていただき、本当にありがとうございました。掲載心より感謝いたします。
by Kimie White (旧姓吉川) (2012-01-29 13:09)
はじめまして
記憶の扉を開く助けになったようですね
お父様は炭鉱近くに住んでおられたみたいですね
正直、山の中のすごいところにあった炭鉱だと思います
思い出を大切になさってください
by 分監山 (2012-02-02 19:12)